あれから18年…

あれから長い長い18年間。希望の光を常にともし続けた神戸の方達に、心からの敬意をはらいます。どんな時も神戸には、一筋の明るい光がさしていました。潮風に吹かれて おしゃれで爽やか… そんな たたずまいの陰に、計り知れぬ復興への努力があったと想像します。

声楽をとらえなおす きっかけともなった 阪神淡路大震災。がれきに埋まりながら、究極の状況の中で「赤とんぼ」を歌い続け、周囲と自らの生命の火を燈し続けた女性がいたことを知りました。歌なんて震災の朝の「おむすび」一個にも及ばない…音楽の無力感をおおいに感じたけれど、究極の状況の中、歌で命をつなぐ人がいらっしゃったのだ。

「赤とんぼ」… 山田耕筰の作曲。我が恩師の恩師。この歌を後世に伝える意味はある。確信を持って、再び声楽の道を歩み出したのが 18年前。だから音楽に迷いはない。2011年の東日本大震災の折も、暮らすこの地とこの場を守り、与えられた 歌 というミッションをこなすことが、最大の役目と自覚しました。

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成人の日、早朝の揺れで目を覚ました。
家がガタガタと鳴る中、2階から必死で降りてくる息子。状況を把握しようとテレビをつけると、コンビニの棚からカップラーメンが2個落ちている映像。たいしたことなかったと胸をなでおろしているうちにも、神戸の街はたいへんなことになっていたのだ。

子ども達の登校時間に2度目の大きな揺れ。震度5の余震。それでも2人とも学校へ行った。ワイドショーでは高速道路が横倒しになった状況を伝えていた。地震学者のコメンテーターが「こんなこと、よくありますよ」などと暢気に評論していた。ありえない。

神戸の従姉妹達の安否が気遣われる。電話は奇跡的につながり、無事が確認できた。叔母は迫り来る火の中を、加古川の娘宅に避難したと聞いた。友人からも電話があった。数件先の方が亡くなり、あたりはまだガス臭いけど、私達は大丈夫よと。阪神間の親戚は…。

そして徐々に伝わる被害状況、それからの3日間はテレビから一切の番組が消え、阪神・淡路の被災報道だけがふくらんでゆく。給水車に並ぶ一列の筋、胸が痛むとともに、日本人のあり方に感動すら覚えたことを忘れない。

いったい、自分がライフ・ワークと信じ、続けてきた「 音楽 」ってなんだったのだろう。この非常時に何の役にもたたない…。足元が あの潮風の薫る街と一緒に、ガラガラとくずれてゆく思いだった。

いつも、大阪湾の対岸に感じるおしゃれな神戸の時は止まったまま。それでもしばらくして、リュックを背に、被災地に水や食料を届ける有意の人の線路伝いに歩く行列を見た。堺から自転車で飛ばしたと、友人が言っていた。信じた声楽を手に何もできない自分がいた。

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日本の人々が各々の地を守り、自分達ができることに日々 取り組むことが又、日本という地盤を確かなものにする、復興へむけた大切な営みなのではないかと思います。

生命とともにある声楽…このライフ・ワークの本当の意味に出会って18年の歳月が流れた。復興なった神戸へ、いまだ復興途上の東日本へ、原発のフクシマに祈りの歌を奉げます。



プロフィール

Diva

Author:Diva
中野陽子

声楽家 ソプラノ歌手
声楽の健康科学 研究者


大阪教育大学大学院
教育学研究科
健康科学専攻
人間科学コース
発達人間学研究修了
修士(学術)


相愛大学音楽学部
声楽科卒 芸術学士
・山田耕筰の孫弟子
・声楽の恩師は
 109才まで現役指導を
 貫いた(故)嘉納愛子氏


サンフランシスコ
コンサーバトリー
音楽院(4年制音大)
にて研鑽を積む


ハルカス・サロン講師


大阪健康福祉短期大学
アバンスペース
健福興隆ハルカス大学
講座 講師

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