おめでとう ノーベル賞

『山中伸弥教授 ノーベル医学生理学賞』 
日本人にとって本当に嬉しいニュースが飛び込んできました。

山中先生がアメリカで研究をされていたのは、今も行き来を続ける UCSF。わたくしごとながら 我が家にとって思い出深い所です。20年以上も前、夫はこの生化学のラボ(研究室)に勤め、基礎医学の分野でバイオの草分け期を研究にいそしみました。家族ぐるみで海を渡った私達家族も、ここでの暮らしをエンジョイしたのです。

家族として、傍らで科学の世界の片鱗に触れた感想が沢山あります。

サンフランシスコのUCSF界隈は、気風も風土ものびやか。ラボの陽気な連中が、お古の家具を持ち寄って、アパートメントをたちまちセットアップしてくれました。明るい空気がいつも流れ、同伴家族の私などは飛行機で降り立った翌日から、過ぎてゆく日が惜しく日本に帰りたくなーい!と思ったものです。

ボス(教授)は科学者特有の変わり者。ラボの連中のホームパーティやピクニックによく顔を出す気さくな人柄で、ポスドク(博士研究員)は彼を、親しみを込めニックネームで呼んでいました。世界中の著名な研究者の講演が常に聴け、夫はいつも楽しそうでした。

時は違っても、のびのび恵まれた環境の中で、山中教授は研究生活を送られたのだと拝察します。アメリカでの研究資金は日本より遥かに潤沢で、環境も整っていると聞いています。

ベイビーをおんぶラックに背負ってペピットを握る、若き科学者の姿もありました。英語に不慣れな私が英語学校に行く間、息子たちは、研究室でパパや同僚に実験道具のビンやフタで遊ばせてもらったり、外国から来た者にもUCSFの懐はいつも深かった。

我が家が帰国して後、この大学でプリオンの研究に取り組まれていたプルジナー教授がノーベル賞に輝き、本当に喜ばしいことでした。

日本に帰国後の山中教授は、鬱病手前にまでなられたとか。研究環境に恵まれず、アメリカとの落差の激しさがおありだったのでしょう。僭越ながら、帰国後には、比較的開放的な研究室に戻った夫でさえ、日本はウェットだと嘆いていましたから…。

そんな中、これが最後と応募された 奈良先端科学技術大学院大学 でノーベル賞につながる「iPS細胞」の研究が始まったのは快挙です。この小さな研究室を原点とされています。

奈良先端大学は、大学院だけの小さな大学で、歴史も20年と浅く、知名度もほとんどありません。我が家の長男もこちらで COE-RA に雇用されつつ博士を取得しポスドクとして勤めました。彼が先輩から聞いた話では、山中先生はよくランニングをされていたそうです。
「あそこの研究室にいったら、先生と一緒に走らなあかんねん。」
先生が京都マラソンを走り研究資金集めをした話は有名です。

この学校は、環境や気風が アメリカ に非常に似ていると、懐かしく嬉しく思います。傍らにいた家族として、若い学校なりの 国の理想を一杯に詰め込んだシステムと、若い研究者に手厚かったことを強く感じました。大学創設時の小さな研究室から、助教授としてスタートされた山中先生が、飛び込んできた一番弟子となる高橋和利さん達とのびのびと研究できる喜びを感じられたことは、ノーベル賞受賞への要因のひとつだったのではないでしょうか。

ネブラスカにおるインド人のポスドクも、
And about nobel prize for nara institutes...thats a great news...we are proud that you are from that institute
と喜んでくれてます。
と息子がメールを送ってくれました。
日本の快挙を世界も誇りに思ってくれています。

その後の京都大学での山中教授の躍進は、広く知られるとおりです。失敗を重ねて歩む姿に、皆が敬意を抱きます。「人間万事塞翁が馬」という格言を好まれるそうですね。

我が家が帰国した頃の日本は、理系の仕事は3K ( きつい・汚い・給料が安い)と称され、今なら誰もが知るバイオテクノロジーという一般概念すらない時代でした。バブルがはじける寸前で超豊かな日本の恩恵も受けぬままバブル期も知らず、家族は逆カルチャーショックのまっ只中にいたので、理系の息子達の将来が思いやられました。

それだけに、理系の恵まれない時代の日本の下支えを、地道に続けた科学者達にノーベル賞級の拍手を送りたいと思います。時代は変わり科学が脚光を浴びる世の中となりましたが、どんな時代も歩み続ける多くの研究を、日本の国力でもって支えて欲しいと願います。

現役研究者、山中教授がiPS細胞実用化にこぎつけられますように…スウェーデンのストックホルムのコンサートホールで行われる授賞式ももうすぐです。

同じ環境に身を置いた者の家族として、「ノーベル賞」を生んだ土壌について感じたことを、今回は記しました。科学は全く解りません。けれど、彼らの合理的なものの見方や、整理された考え方は、音楽を演奏する上で本当に良い影響を及ぼしてくれます。

♪~・~♪~・~♪~・ ミニ レッスン ・~♪~・~♪~・~♪

理科の手順は

1 見い出す
2 見分ける
3 見通す
4 見定める
5 見直す
6 見極める

小学校の入学式で、長男が校長先生から頂いたお祝いの言葉です。


新曲に取りかかる時、この順番をふむと、頭の中が整理されます。
曲を見つけ、譜読みをし、メロディーをつかみ、歌えるようになる。
ここからが本当のレッスンで、さらに、曲想をつけ、
自分の世界を表現する歌曲として芸術として完成させる…。
初見の楽譜に取り組むのは、本当にめんどうですが、
たくさんの手順の中に
音楽の意味と楽しみがいっぱい込められています。

「9つの失敗がないと1つの成功はない」という
山中教授の言葉は、私たちを力づけてくれます。
演奏でヘコんでも、それが力になってるって本当に嬉しいことです。
歌い続けましょう♪

プロフィール

Diva

Author:Diva
中野陽子

声楽家 ソプラノ歌手
山田耕筰の孫弟子
声楽の健康科学 研究者


相愛大学音楽学部
声楽科卒 芸術学士
・109才まで現役指導者
 故 嘉納愛子氏に師事


サンフランシスコ
コンサーバトリー
音楽院[4年制音大]
にて研鑽を積む


大阪教育大学大学院
教育学研究科
健康科学専攻
人間科学コース
発達人間学研究修了
修士(学術)


ハルカスを拠点として、マスメディア・デパート・大学関連講座の講師をつとめています


●読売新聞大阪本社・讀賣TVを運営母体とする文化センター講師


●ハルカス近鉄本店 文化サロン他 講師


●大阪健康福祉短期大学
健福ハルカス大学 講師


声楽を軸に、歌う日々やサンフランシスコ暮らしの懐古をエッセイ風に綴ります。

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