お盆によせて・。・。
お盆です。早朝の公園ウォーキング、黄色く色づく桜の木の葉っぱがハラハラと散っていました。ツクツクホーシも鳴き出しました。暦の上ではもう秋。季節の移ろいが感じられます。
お盆は「終戦の日」でもあります。「戦争を知らない子どもたち」にとって、戦争は遠い遠い昔の話。平和の中で、大人たちが経験した太平洋戦争などの話を伝え聞きました。けれど今年は状況が異なります。この時代、ウクライナがミサイルで攻撃され、戦禍は他人事ではなくなったのです。
山田耕筰について調べる機会がありました。「赤とんぼ」など心なごむ作品を数々 残した耕筰ですが、戦時中は国威発揚の音楽活動を精力的にこなし、軍と国民を鼓舞しました。そのため、戦後は戦犯として糾弾されました。反面、意外な角度から彼を語る証言もあります。

戦争が始まると、音楽家の活動の場は無くなってゆきました。しかし「音楽は大東亜戦争の軍需品」と堀内敬三が謳い、耕筰もまた、同じ意義を音楽に定めました。生き残りをかけた音楽家たちは、音楽挺身隊で演奏することに活路を見い出してゆきます(後藤暢子著,ミネルヴァ日本評伝選 山田耕筰,2014)。
ある歌い手が、戦時中の音楽界を牽引した耕筰について「困窮する私たちに活動の場を提供してくれた」と証言するのを、NHKのインタビューで聞いたことがあります。戦争とコロナでは状況は全く異なります。けれどパタリとコンサート依頼の無くなったコロナ禍を思えば、戦時下で演奏の機会を無くした演奏家にとっての耕筰は、まさに救世主であったことが想像されるのです。
終戦を迎え、耕筰は、長崎に落とされた原爆をテーマに「南天の花」という歌曲を作曲しました。この淡々とした曲を聴くと、二度と戦争なんてあってはならないと、静かな意思が心の底から湧き上がってくるように感じられました。
猛暑・コロナ・ウクライナ・安倍さん暗殺、世の中 激変で迎えるお盆です。けれど、悠久の歴史を伝える仁徳陵古墳(大仙陵)に、今日も陽は昇りました。「夜明けの来ない夜は無いさ…」の歌詞が思い起こされます。お盆です。朝日の中に、戦没者を弔う「平和の塔」がシルエットで浮かびあがりました。ご先祖さま、私たちも歴史という襷(たすき)をつないでまいります。なにとぞ お見守りください (-人-)